宮城県図書館だより「ことばのうみ」第33号 2010年3月発行 テキスト版
おもな記事。
- みやぎ本の杜 『ガラス窓の部屋』 尾形亀之助。
- 特集 宮城県図書館のルーツを訪ねて その5 ~明治期の私立図書館「仙台文庫」~。
- 図書館員から読書のすすめ。
- 叡智の杜レポート。
- 図書館からのお知らせ。
みやぎ本の杜 尾形亀之助 『ガラス窓の部屋』
(『尾形亀之助全集』増補改訂版 思潮社 1999年 212ページより)。
夢を見てゐるやうな一日だ
朝から部屋に陽がさしこんでゐた
雲もないし風の音も聞かなかつた
茫つとして夕方になつた
夕方になつて
私は部屋の中に魚を泳がしてみたくなつてしまつた
一日中しめきつてゐた埃ぽいガラス窓の外は
くるくると落日が大きいたんぽぽを咲かせてゐる
著者のご紹介。
おがた かめのすけ(1900~1942)柴田郡大河原町に生まれる。東北学院中学校中退後、仙台で創刊された文芸誌『玄土』に短歌を発表。上京して村山知義・柳瀬正夢らと前衛美術団体「マヴォ」を結成する。のち詩に転じ、大正14年(1922)に第一詩集『色ガラスの街』(恵風館)、昭和4年に第二詩集『雨になる朝』(誠志堂書店)を出版した。晩年には仙台市役所税務部の臨時雇員として勤務した。
特集 宮城県図書館のルーツを訪ねて その5 ~明治期の私立図書館「仙台文庫」~。
今から114年前の明治29年(1896)、私立図書館「仙台文庫」が有志により開設されました。文庫は公開図書館として、蔵書の閲覧・貸出のほか、出版事業を行うなど、明治期、人々の読書活動振興と郷土史料の保存と普及に大きな足跡を残しました。
本館には、仙台文庫の旧蔵書とともに文庫が出版した書籍も引き継がれています。今年で本館は創立130年目を迎えます(明治14年(1881)創立)。本号では特集「宮城県図書館のルーツを訪ねて」の第5回として仙台文庫をご紹介します。
有志が設立した公開図書館。
「仙台文庫」は、明治29年9月20日、仙台市東三番丁55番地に開設されました。同年9月16日・17日両日の『東北新聞』に掲載された「書籍閲覧所開業広告」では、「和漢洋古今雅俗ノ書籍数万巻蒐集致置来ル九月二十日ヨリ開業致候間陸続御来覧ヲ乞フ/仙台文庫会」と、利用を呼び掛けています。
この「仙台文庫会」は明治26年(1893)3月、旧仙台藩士の有志らによって設立されました。創設者は、松倉恂・大童信太夫・大槻文彦・岩淵廉・横澤浄・但木良次・作並清亮の7名で、設立の趣旨は郷土資料・古典籍・一般図書を収集保存し、公開しようというものでした。
『仙台文庫会規約』(明治29年)によれば、入会にあたっては「諸家ノ旧記遺編及ヒ和漢洋ヲ問ハス書籍三十部以上、金円五円以上」を寄付するものとされ、会員3名以上の紹介が必要でした。文庫会は蔵書として、明治28年頃には700余点(4,500余冊)の和漢書を集めていました。
そして明治29年7月には、旧仙台藩主・伊達家から貴重な蔵書の一部2,700余点(22,500余冊)が文庫会に寄託されることになりました。東京大井の江戸藩邸にあった蔵書は、貸し切りの貨車で品川駅から仙台まで輸送され、仙台文庫書籍閲覧所の蔵書としてはじめて一般に公開されました。
文庫会では、このほか、購入や写本の作成などによって蔵書の充実が図られました。
郷土資料の出版活動。
仙台文庫会では、創立の翌年である明治27年(1894)から明治35年(1902)にかけて「仙台文庫叢書」を出版しています。叢書巻頭に置かれた「仙台文庫叢書緒言」によれば、「文庫会創立後わずか1年間で、賛同する人々から寄附された図書がすでに2000部あまりに達し、中には必要なもの、珍しく部数が少ない資料もあることから、これ等の資料を印刷して同好の人々に頒布することとし、会に印刷部門を置き、叢書発行を企画した」(大意)との趣旨から開始された事業でした。
「仙台文庫叢書」には『宮城百人一首』『伊達出自世次考』『伊達正統世次考』など伊達家所蔵の文献を中心とした貴重な郷土関係資料が含まれている上、安価で頒布されたことから当時の人々に賞賛されたと言われています。
仙台文庫のその後。
仙台文庫の書籍閲覧所は、明治33年(1900)2月に仙台市内の清水小路に新築移転しましたが、開設から11年後の明治37年(1904)に閉館となりました。その際、伊達家から寄託された図書は返却されましたが、文庫会が購入した図書や作成した写本についても伊達家に収められました。また、会員から寄付を受けたもののうち、返却の希望がなかった書籍も収められることになりました。
そののち、第二次世界大戦後の昭和24年(1949)に本館が伊達家の蔵書を購入し、「伊達文庫」として収蔵しました。この「伊達文庫」の中に仙台文庫の旧蔵書も含まれており、本館の貴重なコレクションの一部となり現在に至っています。疎開していた古典籍を除いて、蔵書を戦災で失った本館が明治初期の稀少な書籍を所蔵しているのはこうした経緯によるものです。
仙台文庫の蔵書から。
『文明論之概略』
福沢諭吉著 刊本 明治8年(1875) 西洋文明の大要を解説し、日本の文明と比較した福沢の代表的著作の一つです。文庫創設者の一人大童信太夫は旧藩時代から福沢に海外の新聞・雑誌の翻訳を依頼しており、戊辰戦争後責任を追及された際にも福沢の奔走により許されるなど、深い親交がありました。
『仙台町方維新以前ノ雑事』
松倉保定(三右衛門)記 松倉恂編 写本 明治26年(1893) 文庫創設者の一人である松倉恂自らが作成し文庫に寄贈した写本。恂の父で町奉行を務めた松倉保定(三右衛門)が在職中に記録したものの中から後世の参考となる記事を抜粋したものです。
『旧藩山林要略』
山口顕喜編 写本 明治中 旧藩時代の山林制度に関する事柄をまとめた書物で、写本に使用されている罫紙の版心(袋とじの折り目にあたる部分)に「仙台文庫」と印刷されていることから、文庫で作成された写本であると推測されます。
『仙台文庫書籍目録 第壱編』
仙台文庫会編 活版 明治28年(1895) 「緒言」に正式な目録を編纂するまでの一時的な便宜を図る目的で作成されたものであるとの記述があります。作成された時期から見て、伊達家からの貸与資料は含まれておらず、文庫会が収集した資料からなるものと考えられます。
仙台文庫をめぐる人々。
作並清亮(1841~1915)
作並清亮は、藩校養賢堂に学び、後に養賢堂塾長となりました。戊辰戦争時には周旋方・目付役となり、二本松に出陣し戦いました。その後伊達慶邦の命により家扶として伊達家の家政に携わり、主に伊達家所有の什器・書籍・美術品など文化財の整理・目録作成に努めました。そのかたわら、伊達家の文書・古記録を利用してその歴史を集成した大著『東藩史稿』34巻を著しました。
松倉恂(1827~1904)
仙台文庫会では総代を務め、会の運営に尽力した松倉恂は、町奉行であった父三右衛門の子として生まれ、戊辰戦争時には軍艦奉行・兵器奉行を務めました。明治11年(1878)には初代仙台区長(現在の市長職に相当)に就任し、仙台の近代化に大きく貢献したほか、日本銀行総裁となった富田鉄之助とともに私立東華学校の設立にも携わり、晩年は伊達家の家令となりました。
図書館員から読書のすすめ 『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』(堀茂樹訳 白水社 2006年)
利用サービス班 洞口薫子。
文章を書くことをなりわいとしている人間の自伝のタイトルに「文盲」という言葉が使われる、それだけで不思議な印象を与える一冊です。「わたしは読む。病気のようなものだ。手当たりしだい、目にとまるものはなんでも読む」、そんな読書好きな少女は長じて作家となりました。
母国語の読み書きしかできない人間は、異なる言語圏にほうりこまれた瞬間にその言語における非識字者となります。アゴタ・クリストフは21歳でハンガリーからスイスに亡命しました。一度も習ったこともないフランス語での生活が始まり、時計工場で働きながら26歳で初級のフランス語講座に通い始め、50歳近くになって初めての小説『悪童日記』をフランス語で書き上げました。
いまのようにインターネットが普及するほんの少し前まで、日本を離れて生活することはそのまま日本語との別れでもありました。母国語を離れた生活は、程度の多少はあれ非識字者としての苦しみを生み、時には母国語に対する執着に満ちた作品を生み出します。昨年小林秀雄賞を受賞した『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』の筆者・水村美苗は、12歳の時に父親の仕事でアメリカに移住し、彼の地になじむことができず、昭和2年に出版された日本文学全集をよりどころとして成長しました。大人になった彼女がアメリカで最初に書いた作品は、『続明暗』でした。これは漱石が連載中に亡くなったために完結しなかった『明暗』の続編です。
日本や日本語に憧憬を抱き、日本語を学び、日本語で書くことを選んだ作家もいます。外交官の父の赴任先の一つだった日本語を大学で学び、万葉集の英訳に携わり、小説を日本語で書き始めたリービ英雄。中学時代に見た日本の風景写真に憧れて日本に留学し、日本語を母国語としない最初の芥川賞受賞者となった楊逸。
彼らの書くものは、「私たちはなぜ読むのか」、そして「私たちはなぜ日本語で読むのか」、または「私たちにとって日本語とはどういう存在なのか」といったいくつもの疑問をもたらし、そして読書という日常的な行為を刺激あるものに変化させてくれます。
こんな本を選びました。
『続明暗』
水村美苗(筑摩書房 1990年)
『本格小説』
水村美苗 上下(新潮社 2002年)
『日本語を書く部屋』
リービ英雄(岩波書店 2001年)
叡智の杜レポート。
平成21年11月7日から12月5日にかけて、平成21年度みやぎ県民大学開放講座「叡智の杜を訪ねて」(全5回)を開催しました。「みやぎ県民大学開放講座」は県民の皆さんの多様な学習要求に応えるため、県内の教育機関等が持つ人的・物的な教育機能を広く地域社会に開放して専門的な学習機会を提供することを目的として、県教育委員会が毎年実施している事業です。
今回の開放講座では、大和田順子資料奉仕部次長が「辞書の面白さ 再発見」と題し、身近にありながら、じっくりと「読む」ことが少ない辞書について、本館所蔵の辞書による豊富な実例を挙げながらその面白さや奥深さについて講義を行ったほか、「太宰と歩く魯迅の仙台」(講師:利用サービス班 洞口薫子主査)、「『環海異聞』(かんかいいぶん)の物語」(講師:内馬場みち子調査班長)、「宮城県内の災害と地域復興の記録」(講師:利用サービス班 阿部毅主幹)、「日本の国のかたち」(講師:伊達宗弘顧問)といった、所蔵資料を中心に歴史や文化など多彩な分野から学んでいただける講義を展開しました。
受講された方々からは、「レジュメ等も分かりやすく、担当講師の努力がよく伝わった」「学生時代とは違った視点から、興味深く時代や人物を学ぶことができ、とてもよい時間を過ごすことができた」といった感想をいただきました。
図書館からのお知らせ。
Web予約サービスを始めました。
3月12日より、ご自宅のパソコン等から予約ができる「Web予約サービス」の登録受付を開始しました。Web予約サービスとは、インターネットに接続されたパソコンや携帯端末、また館内に設置されている蔵書検索用端末(OPAC)から、当館の所蔵資料を検索し、貸出中の資料を予約できるサービスです。
サービスを利用するためには、宮城県図書館の利用カードが必要となります。Web予約サービスの利用を希望される方は利用カードを添えて登録窓口で手続きされるようお願いします。Web予約に関する詳しい情報は本館ホームページでご覧ください。
平成22年は国民読書年です。
平成20年(2008)6月6日、「国民読書年に関する決議」が衆参両院全会一致で採択されました。この国会決議で、今年平成22年が「国民読書年」と定められました。豊かな人間性の涵養や健全な民主主義の発達に欠くことのできない文字・活字文化の振興を目的とした「文字・活字文化振興法」の制定・施行から5周年にあたることから制定されたもので、政官民協力のもと国を挙げて読書に対する意識をさらに高めるためにあらゆる努力を重ねることとしています。
宮城県図書館でも、国民読書年にちなんでさまざまなイベントなどを実施する予定ですのでご期待ください。
特別展「立版古(たてばんこ)~江戸・明治の飛び出す錦絵~」。
「立版古(たてばんこ)」とは、江戸時代中期から大正ごろまでに制作されたおもちゃ絵の一種です。数枚組になった錦絵を切り抜いて組み立てることにより、歌舞伎の舞台面や歴史の一場面、また町並みや風景を再現するもので、いわば「飛び出す錦絵」とも呼べる日本のペーパークラフトです。今回の特別展では、本館が所蔵する「立版古」とともに、実際に制作した完成品もあわせて展示し、日本の立体的な紙のおもちゃの世界をご紹介しています。
期間:平成22年6月30日(水曜日)まで(図書館開館日の午前9時30分から午後5時まで)
場所:宮城県図書館 2階展示室
入場料:無料
お問合せ:企画協力班(1階)
電話番号:022-377-8444
第41回子どもの本展示会を開催します。
毎年4月23日の「子ども読書の日」から5月12日までの約3週間は「こどもの読書週間」です。この期間にあわせて、子どもの読書活動を推進するため「子どもの本展示会」を開催します。毎年発行される児童図書の中から、特に子どもたちの読書支援に関わる市町村図書館・公民館図書室・学校及び家庭などでの選書の参考となる図書を選び展示します。
期間:平成22年4月17日(土曜日)から4月29日(木曜日)まで(図書館開館日の午前10時45分から午後4時30分まで)
場所:宮城県図書館 2階 ホール養賢堂
展示資料:子どもの本約1,500点、産業に関する本約80点ほか
入場料:無料
お問合せ:子ども図書室(2階)
電話番号:022-377-8447
この「ことばのうみ」テキスト版は、音声読み上げに配慮して、内容の一部を修正しています。
特に、句読点は音声読み上げのときの区切りになるため、通常は不要な文末等にも付与しています。
「ことばのうみ」は、宮城県図書館で編集・発行しています。
宮城県図書館だより「ことばのうみ」 第33号 2010年3月発行。